2014年08月13日
静岡県 藤枝〜袋井 軽便鉄道跡サイクリング

昭和40年代ごろまで静岡県を走っていた静岡鉄道駿遠線、当時最長の軽便鉄道でその跡を追ってサイクリングにお出かけしてきました。
小田急の始発で藤沢に出て、JRは青春18きっぷを使いましたが、シーズン中だけに帰省客やら旅行客やらで早朝の東海道線は混雑で藤沢でも小田原でも立ちっぱなし。
熱海からの浜松行きも着席できなかったので、る三島で後続の始発に乗り換えて藤枝まではなんとか着席できました。

ウィキペディアより抜粋

駿遠線(すんえんせん)は、かつて静岡県中部、藤枝市の大手駅ら親藤枝駅(東海道本線藤枝駅前)を経由し、駿河湾西岸、御前崎付近及び遠州灘北東岸を回って袋井市の袋井駅(東海道本線袋井駅前)を結んでいた静岡鉄道の鉄道路線。軌間762mmの軽便鉄道で、線名は駿河国と遠江国を結ぶことから付いた。なお、大手 - 新藤枝間を大手線として区別することもある。

元は藤枝からの藤相鉄道(とうそうてつどう)と袋井からの中遠鉄道(ちゅうえんてつどう)が、静岡電気鉄道(後の静鉄静岡清水線)など他の運輸事業者と戦時統合して静岡鉄道となり、戦後に藤相・中遠両鉄道の末端部をつないで一本の路線としたものである。その結果、大手 - 新藤枝 - 新袋井は全長64.6kmと、軽便鉄道としては日本最長規模になった。
その複雑な生い立ちと長大さから、使用される車両も引き継ぎ車、静岡鉄道自社製を中心に種々雑多で、鉄道ファンには人気の高い路線だったが、モータリゼーションの荒波に抗し切れず、また老朽化した大井川橋梁の架け替えに多額の費用を要することから、全通からわずか16年後の1964年(昭和39年)より区間廃止が始まり、1970年(昭和45年)8月1日付けで全線廃止、バスに転換された。



大和駅から5:07の始発でお出かけ


藤沢から約3時間20分で藤枝到着
「藤」の紫と、藤枝と言えばやっぱりサッカー。

藤枝駅の北側(山側)に軽便鉄道の駅があったらしいですが跡形も無くですね。


藤枝駅からは山側から東海道線をオーバーパスしていたらしいですが、痕跡が全くわからずです。


とりあえず小さな踏切を横断して南側へ。


軽便鉄道跡っぽい道らしいですが、まったく自信なし。


新幹線の高架下を通過


県道33号線へと出ました


軽便鉄道跡である「高洲駅」後の碑がありました。


交差点の細い道が鉄道跡。
現代で交通量の多い道にこんな軽便鉄道が通っていたら迷惑だろうなぁ


フィルターがあるせいか、このカーブがいかにも鉄道跡ですね。


道路反対へと続いていますが、その先は自転車では通れない様子です。

田んぼの中を通っていたっぽいですが全くわからず。
東名ではスマートIC建設中のようです。


少しウロウロ。
それっぽい道路を発見し、辿ってみます


いい感じに続いていますね。


線路跡は大井川の手前で企業の私有地に入ってしまいました
再び迂回です。


国道150号線で大井川を渡ります。
軽便鉄道はこの橋の架け替え費用が賄えなかったそうですね。
かなり長い橋なので弱小企業には負担が大きくてわかる気もします。


大井川の反対側に来ました。
何か石碑がありますが、軽便鉄道とは関係なさそう。


この先は太平洋岸自転車道として活用されていますね。


レプリカながら駅名板がありました


小山城跡の横を通り上吉田駅跡。


住宅地っぽいところですが、ここで合っているのか不安。


道が途切れてしまった。
この先は土地が再整備されてしまったのか


なんとなくそれっぽい道にでました


静岡鉄道のバスの車庫にでました。
ということはここに鉄道が通っていたとみてよさそうです。


軽便鉄道はその先の住宅地へと通っていた様子。
軽便鉄道の道路跡を追う上で、それが昭和40年以降の建築物かどうかが一つの目安になりますね。


勝間田川の橋脚跡


再び太平洋岸自転車道へ。


ちょっとだけ海に立ち寄ってみました


国道は直進ですが軽便鉄道は萩間川の手前で右へとカーブして相良の町へと入っていきました。


細い道へ


このカーブがいい感じです。


通学路の橋ですね。
線路は向こう岸の学校を突っ切っていたようです。


バスの車庫へと出ました
軽便鉄道廃止後にこの辺りはバス事業へと変わったようなのでここに駅があったのは間違いないでしょう。


少し途切れましたが、鉄道跡は県道375号線となっていました。


トンネルがありました。


トンネルの壁面には説明板が掲示されていました。
軽便鉄道がゆえ、車両はミニですねぇ。

地図を見るとまた半分も来ていないようです。


須々木駅跡
右からの書き方だとみ見にくいです


暫くは自転車道。アップダウンもほとんどなく快適です。
ただ、暑いですが。


この辺りが中間地点の地頭方。


駅跡には地図と年表の案内板が


これを見ると昭和23年〜39年がピークだったようですね


国道を横切ります


そしてまたも国道を斜め横断


浜岡の原子力発電所の近くを西へ


玄保駅の風景


遠州佐倉駅跡


左に分かれる細い道が軽便鉄道跡
こういうY字に分かれるのは旧街道と新道の関係にも通じるものがありますね
ついつい目が行ってしまいます。


新野川を渡り反対側へ
鉄道はすき家の裏手を通っていた模様。
昼食で立ち寄ろうと思ったけど昼時で混雑していたので回避。


廃線跡はこの先暫く4車線国道の用地となっていて面影がありませんでしたね。


道の駅が出来ていました


国道脇にあった千浜駅の駅名板


菊川を渡ります 河口に架かるのは太平洋岸自転車道の潮騒橋ですね。
逆アーチの珍しい橋で、前に通ったっけな。


菊川を渡ると右へと曲り大浜の町へと入っていきます。
この辺りも線路跡は失われているっぽいですね。
右に曲がるそれらしい道もわかりません。


線路がどこを通っていたのか全くわかりませんね。
工場などが立っているので、その敷地を避けて通っていたのかもしれませんが、それでもわかりません。


2車線の道を道なりに走ると南大坂駅跡がありました。


お隣の谷口駅の駅名板の浦野は説明もありました。


ここであっているのかな?
自信なし


横須賀の辺りは全くわかりませんね。
全然見当違いを自分は走った感じがします。
旧宿場町みいたいなところを走りましたが、そんな古い街道を鉄道が通るとは思えないですし。


横須賀の町並みのパネル
横須賀城っていうお城がありますね


町のはずれからは軽便鉄道跡復活です。
直線道路で田園風景がいい感じですが、空は曇っていますね


やがて細い道が右カーブで分かれます


大須賀から袋井市へ。
県道の脇を通ります。


袋井市での軽便鉄道跡は遊歩道化されてわかり易かったですね。


軽便鉄道建設から廃止までの歴史を記録した石碑


新岡崎


いごおか駅にはプラットホームが残っていました


浅名付近交差点を斜め横断します。
今ここに鉄道が通っていたら迷惑だろうなぁ


小さな駅名板


遊歩道には軽便鉄道のパネルが埋め込まれていました


軽便鉄道の軌間は76.2cmと狭く、日本で広く使われている狭軌(JRや小田急、相鉄など)が106.7cm、新幹線や京浜急行などの標準軌が143.5cmとなっています


すぐ前には埋められたレール幅を比較したものがありました。


もろい駅の駅名板
袋井まではもう少しです


新幹線をくぐります
新幹線の開通が昭和39年でこの区間の軽便鉄道の廃止が昭和42年ですのでこの高架下を交差していた期間は3年間あったということですね。
名残を全く感じません


県道は左へカーブ 軽便鉄道は直進的に袋井駅へと向かっていました


そして袋井駅に到着です。
工事中で壁に覆われてしまっていていました。
この工事エリアあたりに軽便鉄道の発着場があったみたいですが名残も何もなさそうです。


今年の秋には新駅舎が開業のようですね。


袋井は東海道53次の中間だそうです。


説明板もありました。


帰りはここから輪行です。
15:27熱海行き
3両編成の列車には行きと同じく旅行客が多くて乗車時には座れませんでしたが、途中の島田で席が空いたのでそこから熱海まで座れました。
熱海で乗継、茅ケ崎で相模線に乗り換えて海老名で相鉄に乗り換えて、8時過ぎに帰宅です。


スピ8:76km(自宅から駅までも含む)

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